今年も真夏の祭典、『鈴鹿8時間耐久ロードレース』の季節になりましたね!
モーターサイクルレースに詳しくない方も
鈴鹿8耐の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか?
鈴鹿8耐といえば、過去に数々のドラマや感動を生んだモーターサイクルレースです。
スポンサードリンク
1978年から開催され、1990年頃は日本のバイク人口のピークだったこともあり
鈴鹿市の人口14万人に対して、決勝レースでは16万人の観客動員を記録したこともあります。
過去の優勝者をみると、やはりロードレース世界選手権(WGP、現在のMotoGP)に
出走する世界のトップライダーが名を連ねています。
中でも1980年代後半~1990年代前半にGPでチャンピオン獲得したライダーたち、
ウェイン・レイニー
エディー・ローソン
ワイン・ガードナー
マイケル・ドゥーハン
この4人は鈴鹿8耐でも優勝の経験があります。
しかし1993年にWGPでチャンピオンになったケビン・シュワンツだけは
鈴鹿8耐での優勝経験がないのです。
そんなケビン・シュワンツが2013年の鈴鹿8耐に49歳で出走し話題になりました。
今回はケビン・シュワンツについてまとめていきますね!
スポンサードリンク
Contents
ケビン・シュワンツが2014年も鈴鹿8耐に挑戦!
2014年もシュワンツが鈴鹿8耐にに参戦することがわかりましたね。
しかもシュワンツがルーキーでAMAスーパーバイク時代に所属したチーム、
ヨシムラスズキからの参戦とファンにとってはたまらない組み合わせでの参戦です。

若かりし頃のシュワンツと
今回のパートナーとなる辻本聡さん
ヨシムラとシュワンツには深い関係があります。
1984年暮れにヨシムラはオーディションでシュワンツの才能を見出します。
当時、シュワンツは20歳。
シュワンツ&ヨシムラの関係も2014年で30年の節目となりますね。
ケビン・シュワンツのプロフィール紹介
シュワンツは1964年6月19日生まれ、アメリカ、テキサス州ヒューストン出身。
フライング・テキサン(空飛ぶテキサス人?)なんてニックネームもありましたね。
1986年からヨシムラスズキの契約ライダーとしてAMAスーパーバイク選手権で活躍。

AMA時代のシュワンツ
1988年にはスズキのワークスチーム(メーカーの持つトップチーム)から
ロードレース世界選手権500ccクラスにフル参戦しました。
そしてGP第1戦目の鈴鹿で前年のチャンピオン、ワイン・ガードナーを破っていきなり優勝!
しかしシュワンツの走りは速さこそずば抜けたものがあるものの、
安定感に乏しく、速いが転倒するといったイメージがありましたね。
ケビン・シュワンツとレイニーとのライバル関係とは?
シュワンツとウェイン・レイニーのライバル関係は切っても切れません。
レイニーは1960年生まれ、1983年にAMAスーパーバイク選手権でチャンピオンを獲得。

AMA時代のレイニー
翌年、WGP250に参戦するもチーム体制の不備などがあり、1985年には
AMAスーパーバイクに戻ります。
ここからケビン・シュワンツとの激しいライバル関係が構築されていきます。
シュワンツとレイニーはWGPで数々の激しいバトルを繰り広げるも
非常に安定度の高いレイニーは1990年~1992年まで3年連続でチャンピオンを獲得。
一方、シュワンツはWGP参戦当初に比べると安定度も増してきたが
シーズンを通してレイニーには及ばないといった状況でした。
そして迎えた1993年、シュワンツは安定した速さでポイント争いをリード、
しかしイギリス、ドニントンパークのレースでもらい事故で負傷
(確か、ブレーキングでドゥーハンに突っ込まれたような記憶が…)
終盤レイニーにポイントで逆転を許してしまいます。
しかし第12戦イタリアGP(ミサノ)でのレース中、11週目にレイニーが
ハイサイドで転倒し、第6頚椎損傷の重症で下半身不随となり
選手生命を絶たれてしまいます。
その後、シュワンツはポイントラインキングトップに返り咲き、チャンピオンを獲得。
しかし、レイニーを負かしてチャンピオン獲得を夢見てきたシュワンツは
「ウェインの怪我が治るならチャンピオンなんかいらない。」とのコメントを残しています。
1994年、1995年はレイニーがいなくなった事や左手首の怪我もあり、走りに精彩を欠きます。
1995年、第6戦イタリアGPでWGPからの引退を表明しました。
2013年の鈴鹿8耐でシュワンツはレイニーカラーのSHOEIヘルメットを被って
走行し、ファンの感動を呼び話題となりましたね。
シュワンツ、レイニーは今でも交友があるようですよ!
ケビン・シュワンツ、WGP時代の伝説のブレーキング!
ケビン・シュワンツの代名詞と言えば、その超鋭いブレーキングの突っ込み!
当時、各メーカーのバイクの特性として
HONDA:NSR500 トップスピードが抜群に早い
YAMAHA:YZR500 旋回能力が高いコーナーリングマシン
SUZUKI:RGV-γ500ブレーキングでの安定性が高い
CAGIVA:C59XX(XXには年が入ります。’91年ならC591)とにかく勝てない
でも’92ハンガリーGPローソンのタイヤチョイスで奇跡の優勝!←動画にとべます。
といった感じでしたが、同じSUZUKIのRGV-γ(ガンマ)に乗るサブライダーが
シュワンツ並みのブレーキングをしていたかというとそんな事もなかったように思います。
個人的に印象に残るシュワンツのブレーキングの突っ込みは
1991年、ドイツ、ホッケンハイムでのレイニーとのバトルですね!
基本的にレイニーはロケットスタートから圧倒的なスピードで
ファーストラップを刻む先行逃げ切りタイプだったので
バトルになるとシュワンツが勝つことが多かったように思います。
レイニーの勝ちパターンは単独独走が多かったですから。
またシュワンツは鈴鹿サーキットを得意としていました。
1989年の鈴鹿GPでのレイニーとのバトルも見ごたえがありました。
何度抜かれてもシケイン侵入で抜き返すシュワンツが印象的です。
WGPでの勝利数の割にチャンピオン獲得は1度だけと少なかったかったシュワンツ。
しかしその走りは人々の記憶に残るものだと思います。
鈴鹿8耐での走りに期待しましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました!
スポンサードリンク
この記事へのコメントはありません。