ご存知の通り、坂本勇人選手は読売ジャイアンツの
中心選手として活躍するプロ野球選手です。
坂本選手は1988年12月14日、兵庫県伊丹市に生まれました。
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小学校に入ってすぐに野球を始めた坂本選手。
この時のチームメイト(同級生)にニューヨークヤンキースで大活躍する
マー君こと田中将大選手もいました。
当時は坂本選手がピッチャー、田中選手がキャッチャーがとして
バッテリーを組んでいました。
高校時代、甲子園への出場は三年生時、春の選抜1回のみ。
しかしそのバッティングセンスを評価され
高校生ドラフトで読売ジャイアンツに一巡目指名されプロ野球選手となります。
プロ入り4シーズンで年俸1億円を突破し、現在も巨人の主軸選手として活躍しています。
今回は坂本勇人選手の魅力やエピソードに注目していきましょう。
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坂本勇人は優しいイケメン!そのエピソードとは?
坂本選手のお母さんは2007年に他界されています。
その1か月前にお母さんの具合が悪いことを知った坂本選手は自身の試合にお母さんを招待し
第一打席でホームランを打ってお母さんを喜ばせたそうです。
試合後、坂本選手は「おかんの体調が悪いっていうのは聞いていたので、
最後の試合になるだろうなと思っていた」とコメントを残しています。
ジャイアンツが毎年行う恒例の宮崎キャンプが終了したときのことです。
他のチームメイトたちがあわただしく球場を去る中、坂本選手は
チームのために昼食を用意してくれた現地のスタッフにさりげなく贈り物を手渡しました。
それは自分の使っていた折れたバットからつくった靴べらだったそうです。
また社会貢献にも積極的で、自分でデザインしたチャリティーTシャツを販売し
売り上げの190万円弱を日本赤十字社に寄付。
東京ドームには「坂本勇人赤十字シート」を設置し、児童養護施設の子供を招待しています。
この若さでこういった社会奉仕活動を積極的にできるというのは
素晴らしいことだと思います。
坂本勇人は母と田中将大の影響で右投げ右打ちに?
坂本選手はもともと左利きなんですが、現在は右投げ右打ち。
これにはお母さんの影響が強くあるそうです。
まずは右投げになった理由は…
坂本選手には右利きの兄がいるのですが、その兄がグラブを新調した時に
「チームに入ったら新しいのん、買うたるから」と言って
お母さんが右利き用のお古のグラブを坂本選手に与えたのがきっかけ。
数日後、お母さんが「そや!勇人は左利きやったんや!」と気付いたそうですが
既に坂本選手は右投げでしっかり壁に向かってボールを投げていたそうです。
次に右打ちになった理由は…
バッティングに関しては最初右打ちでスタートしましたが、
監督の指導で小学4年生の時に両打ちに変更。
チームメイトだった田中将大選手と校舎の壁に向かって
バッティングの飛距離を争っていたそうです。
この時に左打ちでは全く田中選手に歯が立たなかったので
坂本選手は監督に「右打ち一本でやらせてください!」と懇願。
ここで左利きの右投げ右打ち坂本勇人が誕生しました。
坂本勇人と田中理恵の結婚はいつ?
かつて坂本選手は「夜の首位打者」とか「六本木の帝王」などの異名を持つ
かなりの遊び人だったみたいです。
実際にフライデーに夜遊び写真を撮られたこともありますもんね。
そんな坂本選手ですが、田中さんと交際し始めてから夜遊びもしなくなったそうです。
田中さんは坂本選手のお父さんともすでに会っているそうですし、
今季オフの結婚の可能性もあるらしく、二人の知人が坂本選手と田中さんが
周囲に「結婚式には来てください!」と言っていると証言したとか…。
坂本選手は昨シーズン、不振に苦しみましたが
今季は田中さんの心強いサポートを得たこともあり
打率も3割弱、出塁率.367と好調を維持しています。
また開幕戦ではプロ通算100号ホームランを放ちました。
これから夏場に向かいもっと成績を伸ばしてくることが予想されます。
今季オフに気持ちよく結婚式を挙げるためにも坂本選手には
個人としてもチームとしても良い成績でシーズンを締めくくってほしいですね。
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